ケストレル (空母)

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』

1番艦ヒューバード写真は同型艦であるヒューバードより
艦歴
発注: 1991年
起工: 1992
進水: 1994年
就役: 1999年
退役: 2010年
母港: セントヒューレット
(後にカーウィン島が根拠地になる。)
性能諸元
満載排水量: 81,600 トン
満載排水量: 94,000 トン
全長: 1,092 ft (333 m)
全幅: 252 ft (76.8 m)
喫水: 37 ft (11.3 m)
機関: グランダーIG A4W 原子炉2基
蒸気タービン4機, 4軸, 260,000 shp
最大速: 30ノット以上 (56 km/h)
航続距離:
乗員: 士官・兵員:3,200名
航空要員:2,480名
兵装: RIM-7 シースパロー
RAM近接防御
ファランクス20mmCIWS3基
艦載機: 90機

ケストレルCVN-30 Kestrel)は、『オーシア連邦』の航空母艦オーシア海軍ヒューバード級航空母艦の7番艦。

1991年に発注される。翌年建造が開始され、1994年に進水されるが、翌年に始まったベルカ戦争にて緊急の為にかり出されることなり、戦争終了後は再度ドックに戻され修理を受ける事となり、1999年に正式就任。

なお、艤装長はウィーカー大佐がつとめているが、正式就任するとニコラス・A・アンダーセン大佐に変わる事になった。

正式就任後、さまざまな戦闘に繰り出されながらも、被弾せずに勝利し、負け知らずの奇跡の船と言われる。

2010年のベルカ事変においては、イーグリン海峡防空戦で生き残りオーシア海軍の貴重な空母の1隻として残るも、その際にF-14D1機とSH-60を除く、艦載機部隊がほぼ全滅する。部隊の移動は行われず、カーヴィン島にて待機する。

その後、大統領直属部隊として、4機の黒塗りの航空機で構成されたラーズグリース飛行隊が配備される。ユーク首相を救出し、ユークトバニアとの平和の架け橋を作る事となる。

12月30日にユーク抗戦派の潜水艦のミサイルにより、沈没(乗員は全員無事であった)。

目次

[編集] 歴代艦長

  • 初代艦長(1995年 - 1999年) ウィーカー大佐
  • 2代目艦長(1999年 - 2010年) ニコラス・A・アンダーセン大佐(自称「負け戦ばかりの男」)。退役後は特殊部の大佐として活躍し、その後は兵庫県西宮市マンション管理人として暮らしている。

[編集] 搭載部隊

  • 航空団第206戦術攻撃航空隊(F-14D装備)・F/A-18
    • 海兵航空隊(シー・ゴブリン隊、HH-60CH-47装備)
    • (後にラーズグリーズ隊、他にはC-2輸送機)
    • その他にA-6SH-60EA-6E-2

[編集] 戦歴

  • 1995年3月25日 ベルカ戦争勃発
    • 公試運転中に緊急招集される。
  • 1995年6月20日 ベルカ戦争終戦
  • これ以降はドックにて再修理が行われる。
  • 1999年正式に就役
  • (2010年9月23日 サンド島基地が襲撃される。(非公式な戦闘))
  • 2010年9月27日 環太平洋戦争勃発
    • 開戦直後、セントヒューレット港で奇襲されるも艦載機や第108戦術戦闘飛行隊サンド島分遣隊の助力により、僚艦のイージス巡洋艦エクスキャリバー及びフリゲート3隻と共に港外へ脱出する。
    • 続いてセントヒューレット港外でユークトバニア艦隊1隻・フリゲート3隻・ミサイル艇2隻)を殲滅し、封鎖を突破する。
  • 2010年9月30日 イーグリン海峡防空戦
    • 所属する第3艦隊再編成の為、大陸内海へ向う途中にイーグリン海峡にて空襲される。
    • ケストレルは無傷だったが、ユーク海軍潜水空母シンファクシによる散弾ミサイル攻撃の第1弾で同艦隊所属の同級空母ヴァルチャー(VULUTURE)が、第2弾で同バザード(BUZZARD)と随伴駆逐艦1隻が轟沈
    • 同時に散弾ミサイル攻撃で艦載機の大半を喪失する。
  • 2010年10月~ 防空・地上支援等の任務で艦載機が暫減し、戦闘機はF-14D1機のみとなる。
  • 2010年11月17日 第3艦隊所属の海兵隊(シー・ゴブリン)による捕虜救出作戦に成功する。
    • 航空支援に参加していたヘリが撃墜される。
  • 2010年11月18日 撃墜されたパイロットの救出に成功する。
    • 撃墜され負傷したヘリ乗員2名も同時に救出する。
  • 2010年12月7日 F-14Dが逃走中のウォードック隊4機を撃墜
  • 2010年12月8日 パイロット補充(4名)
    • 同日ハーリング大統領救出作戦
      • ベルカ公国内のシュティーア城に監禁されていたハーリング・オーシア連邦大統領の救出作戦に成功、大統領座乗艦となる。
  • 2010年12月中旬 ハーリング大統領が海兵隊を率いて首都オーレットに進撃する。
  • 2010年12月23日 ニカノール・ユーク首相救出作戦
  • 2010年12月29日 セレス海海戦
    • 僅かな戦力しか残されていなかったケストレル戦闘群(空母1隻、フリゲート3隻、情報収集艦1隻)は壊滅必至と思われたが、ユーク艦隊はニカノール首相の呼び掛けによって戦闘拒否を宣言し、艦隊から離脱を図った駆逐艦ピトムニクを撃沈し、更に駆逐艦チゥーダ・ドゥープ・グムラクが離反しケストレル戦闘群に合流を図る。
    • ケストレル戦闘群は戦闘中に出現したオーシア艦隊に援護を求めるが、オーシア艦隊は反乱軍として攻撃を開始する。
    • 壮絶な海戦はラーズグリーズ隊の活躍によりケストレル戦闘群の大勝利に終わる。
    • ユーク艦隊の損害
      • 空母アドミラル・ツァネフ(ADH.TSANEU)、イージス巡洋艦(KANIAK)、巡洋艦(UMELY)、駆逐艦チィージ(CHIZH)・スヴァボトヌイ・ボイキイ・(CHAPLYA)他2隻、フリゲート4隻が全滅した。
    • オーシア艦隊の損害
      • 空母バーベット(BARBET)、イージス巡洋艦ハルシオン(HALCYON)、巡洋艦シバリー(CHIUALRY)、駆逐艦(IOLITE)、フリゲート2隻が全滅した。
  • 2010年12月30日 ケストレル撃沈
    • ユーク抗戦派潜水艦の放った対艦ミサイル2発が命中し撃沈される。1発目は右舷艦橋前方付近に着弾、2発目は右舷艦橋後方付近に着弾した。この2箇所には舷側エレベーターがあり、このことが致命傷に繋がった可能性がある。波乱に満ちたが常に幸運に恵まれていたケストレルは退艦した乗員が見守る中で静かに艦体を沈め、その生涯を閉じた。

[編集] ケストレルに纏わる逸話

  • 1991年発注にも関わらず1995年当時も公試運転中でしかもベルカ戦争に実戦参加した。
  • さらにその後の1999年に正式に就役した。
  • 撃沈される時に直撃した対艦ミサイル以外はA-6Eの機銃掃射を受けようが、至近距離で散弾ミサイルを喰らおうが「全生涯において被弾した経験はなかった」。お察しください
  • 撃沈直前にラーズグリーズ隊をどんな機種でもカタパルトにより射出した。
  • ちなみに通常はランチバーで固定する方式なので発艦ができるのは(カタパルトに装着可能なのは)前輪が二十輪に限る
  • 他の艦からの挨拶で「ケストレル?」との問いに対し『イエス。ケストレル』と回答し、この言葉が流行語大賞に選ばれた。
  • ウォードック隊撃墜の後、アンダーセン艦長は軍用航空機を積載した船舶を拿捕したが、国際法上違法ではなかったかと現在も議論の的になっている。

[編集] 姉妹艦

  • ヒューバード(ネームシップ CVN-23)
  • バザード(CVN-24 BUZZARD)
  • ヴァルチャー(CVN-25 VULTURE)
  • バーベット(CVN-26 BARBET)
  • バルカン (CVN-27 Vulcan)
  • バッカーニア (CVN-28 Blackburn)
  • ビクター (CVN-29 Victor)
  • ベルカ (CVN-31 Belka) 建造中止

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク