タイガーマスク (0代)

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タイガーマスクとは、1968年から1971年にかけて、日本プロレスで活躍した覆面のプロレスラーである。本名は伊達直人

なお、後に新日本プロレス全日本プロレスにおいても、同名の覆面レスラーが活躍しており、この日本プロレスのタイガーマスクが事実上の初代とされる。だが、日本プロレスの分裂騒動のからみにおいて、このタイガーマスクの功績は無かった事にされて、新日本プロレスのタイガーマスク(本名・佐山聡)が初代とされるのが通例となっている。そのため、この日本プロレスのタイガーマスクは、便宜上、0代と表記される事が多い。従って本記事も、それをタイトルとして表記した。

前史[編集]

タイガーマスクこと伊達直人は、孤児であったとされる。その極貧生活の中、プロレスラー養成団体である虎の穴にスカウトされ、入門する。

虎の穴は悪役レスラー専門の養成機関として知られ、従って伊達直人・タイガーマスクのレスラーとしての活躍も、アメリカのマット界における悪役レスラーとしてスタートした。アメリカのプロレスにおける日系悪役レスラーは、丈の短いタイツ、ひざ当て、下駄履きという、いわゆる田吾作スタイルが定番であるが、当時は同じスタイルのレスラーは力道山がアメリカに送り込んだ芳の里など、数多く存在したため、やむを得ず日本人という事を隠し、虎の覆面をかぶるというスタイルでデビューした。やむを得ない処置とはいえ、「虎の穴」が虎の覆面をかぶせて伊達直人をデビューさせた事からも、大きな期待を寄せていた事がうかがえる。

日系人としての悪役レスラーの定番を踏襲できなかった事は、タイガーマスクにとって大きなハンディとなった。そのため、流血も辞さない残虐極まり無いえげつない反則技が、タイガーマスクの基本スタイルとなる。アメリカのアンチファンからは、「イエローデビル」(黄色い悪魔)と呼ばれ、怖れられた。

もちろん流血などは、最初から相手レスラーが血袋を隠し持つなどのギミックによるものであり、試合はブック(プロレスの台本)に則って行われていた。しかしある試合において、タイガーマスクの反則技(足にバケツをつけてキックを浴びせる)によって、相手レスラーが下半身不随の重症を負うという事件が発生する。もちろんこれは、相手レスラーによる失敗もあるのだが、タイガーマスクにも責任無しとは言えず、アメリカのマット界を追放されるに至る。

日本プロレス時代[編集]

そこで虎の穴は、タイガーマスクを彼の故国である日本のマット界へと送り込む事となる。当時、力道山というエースを喪い、昏迷の極みにあった日本プロレスは、人気悪役レスラーを大歓迎した。だが、アメリカと変わらないタイガーマスクの残虐プレイは、日本では大ブーイングを浴びる事となった。特にPTAなど教育機関は、タイガーマスクを目の敵とした。それと同時に、アメリカでは怖れられた虎の覆面も、日本では「カッコいい」「なんであんなカッコいいのに、悪役なの?」との評判を受けた。

これを受けて日本プロレスは、タイガーマスクを悪役から善玉へと転向させる事に決定した。善玉に転向するにあたっては、「虎の穴の命令で悪役レスラーになる事を強いられていたタイガーマスクが、虎の穴を裏切って、正義の味方となった」という、さながら漫画や特撮ヒーロー番組を思わせるようなストーリーが用意された。もちろんこれはプロレスのギミックであり、所属団体である虎の穴も了承済みであり、タイガーマスクは実際には依然として虎の穴の所属レスラーであった。裏切り者であるタイガーマスクに、虎の穴が次々と刺客として悪役レスラーを差し向けるという展開は、当時のプロレスファンのハートをがっちりと掴んだとされる。虎の穴にとっても、自団体所属レスラーを日本のマット界で活躍させる大きなチャンスとなった。もっともタイガーマスクに対して、毎回別のレスラーを差し向けるほどレスラーがあり余っている訳ではないため、同じレスラーが別の覆面を被って別人を装う事も多かったようである。タイガーマスクの人気は非常に高く、かつての力道山に匹敵するとも言われ、当時の日本プロレスの看板レスラーである、ジャイアント馬場アントニオ猪木を凌ぐものとなった。

最期[編集]

だが、虎の穴という外部団体所属のタイガーマスクの人気は、日本プロレス生え抜きといえる、ジャイアント馬場、アントニオ猪木両エースにとっては、面白いものではなかった。力道山亡き後の混乱と相まって、日本プロレス内部では派閥争いが顕著なものとなっていく。その醜い人間関係に嫌気がさして、とうとうタイガーマスクはレスラー引退を決意する。同時期において虎の穴も、アメリカのマット界での不振や所属有名選手の離脱が相次ぎ(日本での人気では補えるものではなかった)、廃業を決定しており、両者の利害が一致した。かくて1971年、タイガーマスクはひっそりとプロレスを引退する。

日本プロレス末期の混乱と相まって、タイガーマスクの引退試合がどういうものであったかは、現在に至るも詳細は不明である。驚くべき事に、人気レスラーでありながら、テレビ中継もされなかったという。

一説によると、「虎の穴」のボスがマスクを被った最強最後の悪役レスラー「タイガー・ザ・グレート」との決戦において、マスクが剥げて伊達直人としての素顔を晒してしまう。そこで「虎の穴からもらったものをたたき返してやる。それで俺は伊達直人に返るのだ」と宣言。グレートを上回る容赦ない反則攻撃を繰り出し、ついにはジャイアント馬場、アントニオ猪木の制止すら無視して、グレートに止めを刺してしまったという。

もうひとつの説としては、ドリー・ファンク・ジュニアとの世界タイトルマッチ(真剣勝負)が実現するが、ジュニアは苦し紛れの反則負けにもちこみタイトル奪取ならず。タイガーマスクはそれで嫌気がさして、失踪してしまったともいう。

前者の説はあまりに漫画的、後者の説はタイガーマスクがプロレスに嫌気がさしたという事情を生々しすぎるほど反映しており、双方とも事実かどうかは疑わしい。実際にはこの両説の中間あたりであったであろうと、言われている。

その後[編集]

タイガーマスク引退後も、ジャイアント馬場、アントニオ猪木らの確執は深まる一方であり、ついに1972年、アントニオ猪木は日本プロレスを脱退し、新日本プロレスを設立するに至る。続いてジャイアント馬場も脱退して全日本プロレスを設立。こうして日本プロレスは崩壊に至る。

その後、新日本プロレスは佐山聡を「初代・タイガーマスク」としてデビューさせる。こうして本当の意味で初代であった伊達直人のタイガーマスクは、闇に葬り去られる事となった。

関連項目[編集]


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