ベルカ戦争

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『ベルカ戦争』(The Belkan War)とは、1995年3月25日~12月31日に旧ベルカ連邦(現:ベルカ公国)及び周辺国で起きた戦争である。

核兵器が実戦で初めて使われるなどの大きな被害を出す結果になったが、最終的には連合軍の勝利で戦争を終わる。

目次

[編集] 概要

ベルカ戦争で活躍したベルカ、連合国のエース達
ベルカ戦争で活躍したベルカ、連合国のエース達

ベルカ連邦は、かつて大国としてオーシア連邦の最大の仮想敵国でもあり、軍事的に見てもトップクラスの戦力を持ち、連邦国として構成された国に軍隊を駐留させた。

だが、80年代の当時の政権による経済政策の失敗や他国の軍拡に対し対応できなくなり、ベルカ連邦を解体し一部の国を独立させ、あるいは隣国に割譲した。

その結果、連邦の中心的国家であったベルカ公国は社会的不安も増加する事になり、「偉大なるベルカ人に栄光あれ」を掲げる右派政党が票を延ばし、軍拡を中心とした経済政策を行い、国内への不安を解消して行く事になって行った。

その後、旧連邦国の一つであったウスティオ共和国に最大量の資源が有ることが判明すると、電撃戦により周辺国を占領して行く。

ベルカ公国に対し、周辺国は連合国を結成し、戦力の一本化を図る事となった。

なお、連合国として構成された国は、ウスティオ共和国、オーシア連邦、ゲベート共和国、レクタ共和国、サピン公国、ファト連邦である。ミッドチルダは終始非介入の姿勢を示し、ベルカ公国軍もミッドチルダへの侵攻は行わなかった。

[編集] 開戦までの経緯

1980年代はベルカ公国を盟主とする連邦時代。各国のリーダーとして担当するベルカ公国は軍事支出の増大から、ベルカは東部諸邦に駐屯するベルカ軍を維持できなくなり、本国へ引き上げさせる事となる。

1988年2月8日、経済政策に失敗し、ベルカ公国の経済が深刻な不況に陥る。 この混乱に合わせて連邦法が改正され、東部諸邦の一国が独立される。

1991年8月29日には、さらなる不況の為、外貨獲得手段として東部諸国(独立2国とサピン、ファト)に領土を売却する。またオーシアに五大湖南北帯と北方諸島を、五大湖地下資源の優先採掘権と引き換えに割譲。さらに東部独立2国が民族分布に基づき分割され、聖王教会が所在する極北地方もミッドチルダに譲渡する。しかし不況は解消できず、国内からは社会的な不安を背景に極右政党「ベルカ民主自由党」が台頭していく。

1992年はベルカ民主自由党が単独過半数を占める与党となる。

国内経済復活と軍事力増強を政策に掲げ、景気回復と共にベルカの軍事力も増強されていく。

1994年、ウスティオ共和国との航空機がベルカ絶対防衛戦略空域B7Rにてベルカ空軍の戦闘機と交戦する小競り合いが起こる。

1995年3月25日、ウスティオ共和国に眠る膨大な天然資源発見の報を機に、極右政党により軍事力増強されたベルカ公国は突如、周辺国への侵攻作戦を開始し、電撃戦によりウスティオ共和国の領土の大半を占拠する。

[編集] 戦争推移

この戦争の前半では軍事力・工業力そして兵士全体の練度の高いベルカ公国が優位に経つも、中期から後半にかけては大規模な戦力やエースパイロットの傭兵を中心し、実戦経験の積んだ航空部隊が中心となる連合軍の優勢となるが、ベルカの核が使われた事により両陣営の動きはストップされ、一気に対等となる停戦合意がなされるが、ベルカ公国が解体される等全体的に見て連合軍勝利で終わった感が強い。

なお、かつてのベルカ残党を中心とするクーデター軍に付いても記載する。

[編集] ウスティオ共和国などの周辺国への侵攻

3月25日ウスティオ共和国に膨大な天然資源発見の報を機に連邦法改正の無効を宣言したベルカが周辺国に対して宣戦布告され、 準備不足の各国は、戦力の強化を図っていたベルカ空軍を中心とするベルカ軍の電撃戦により敗走。 3月末までに東のファト及びゲーベトが戦線を構築する前に空軍に突破され東部一帯が占領、ウスティオ共和国は山岳地を除くほぼ全域が占領される。 ウスティオ臨時政府は新人育成がままならない為、残された「第6航空師団」を外国人傭兵航空部隊として緊急再編、ヴァレー空軍基地を拠点にベルカに対して抵抗を続ける

[編集] クロスボウ作戦

4月2日 ヴァレー空軍基地にベルカ爆撃機編隊が接近。第66航空部隊所属の傭兵部隊であるガルム隊の活躍によりこれを全機撃墜する。危機を募らせたウスティオ、オーシア、サピンは新たな策として連合軍を結成し、反攻を開始する。

一方、戦域を拡大しすぎたベルカは、少数精鋭の空軍のために地上支援を効果的に行えず、後退を続ける。

[編集] ローゼライン作戦

4月15日 サピン国内の補給路である国道171号線を連合軍が奪還を図る事に成功する。

[編集] チョーカーワン作戦

4月20日 ガルム隊がベルカ絶対防衛戦略空域B7Rへ強行偵察を行う。 その際に遭遇したベルカ軍エース部隊を撃墜する。

[編集] フトゥーロ運河を奪還

4月24日 ウスティオ共和国の海運の要であるフトゥーロ運河を奪取する事に成功する。

その際に、オーシア国防海軍第3艦隊の公試運転中だったケストレルが緊急召集され、護衛の元無事に運河を通過し、貴重な航空戦力として投入される。

[編集] ヴァーシティー作戦

5月12日 連合軍はウスティオに侵攻、首都付近のソーリス・オルトゥスにオーシア軍の空挺部隊を投入、強襲し占領する。

その結果、ウスティオは大半の領土の奪回に成功する。

[編集] ウスティオ解放

5月13日 作成名:コンスタンティーン作戦。

前日の作戦により、ウスティオ公国の首都ディレクタス周辺に展開した空挺部隊やオーシア国防陸軍、連合軍航空部隊の協力による攻撃により、ディレクタスが解放される。

解放されると、ディレクタス市内では市民達が鐘を鳴らした。

救援で遅れて来たベルカ空軍エース部隊も、ウスティオ空軍の傭兵部隊により撃退される。

その結果、ウスティオ方面軍司令部が壊滅したベルカ軍は本国へ撤退し、国境線は開戦以前に戻ることとなった。

[編集] ベルカへの核査察

5月17日 連合軍はベルカの核疑惑の為の捜査としてベルカ本国のベルカ南部戦線にあるハードリアンラインのグラディサント要塞を攻撃査察する。

核自体は見つける事は出来なかったが、多大なる連合軍の攻撃の前にベルカ軍は防衛線の構築もできずに北への敗走を繰り返す。

[編集] ベルカ防空体制の崩壊

5月19日 作戦名:ダイナモ作戦

ベルカ軍第二次防空ラインに横たわるシェーン平原の対空陣地を攻撃し、陣地の破壊には成功するも、ベルカ軍の最大の防空施設であり、長距離レーザー兵器エクスキャリバーによる軍事衛星を中継する攻撃により連合軍は輸送部隊を中心に損害を被る。

5月23日 作戦名:ジャッジメント作戦。

ベルカ軍最大の防空の要である長距離レーザー兵器エクスキャリバーに対し、連合国はガルム隊とクロウ隊を主力とする傭兵部隊9機を投入し、彼らの努力によってエクスキャリパーは破壊されるが、その際に空中給油機1機を失う。

5月27日正午 連合軍は国際会議場にてベルカ絶対防衛戦略空域B7Rの不可侵条約を永久破棄することを正式表明する。 同時刻にバトルアクス作戦を決行、連合軍はかつての絶対防衛戦略空域であったB7Rに進撃を開始する。

B7Rでは防衛部隊との大規模な空戦で、連合軍はベルカ側に押されるも、傭兵部隊の増援により連合空軍は体勢を立て直し、反撃すると、B7Rを占領する。

激戦の末に、連合軍ベルカ空軍共々被害を出すが、連合軍は制圧部隊は実に4割以上の航空機を失い、ベルカ空軍はベテラン教官を要する飛行隊や、逃亡機を追っていた挺戦隊などの空軍エース部隊をはじめとする多数の航空部隊を失う。

[編集] ベルカ本国への侵攻

絶対防空領域を失ったこの頃、南ベルカを中心に厭戦気分が漂い始める。 南部諸都市が非武装都市宣言を行い、連合軍の進駐を受け入れ無血開城を行い、連合軍によるベルカ本国への侵攻が進む。

6月1日 作戦名:カニバル作戦。

かつて、守りが中心であった連合軍が、ベルカ本国へ更なる進軍を行う事となる。

ベルカ最大の工業都市「眠らない町」ホフヌングを無差別空爆を行い、ベルカ軍全体の戦闘能力を継戦能力を低下させる事に成功するも、一部のメディアや民衆からは「今までの戦闘とは違い、これでは侵略ではないか?」との声が挙るも、ベルカ本国自体にも厭戦気分が漂い始める。

[編集] 核の起爆

国全体では厭戦気分が漂い続けていたが、一部の好戦派のベルカ軍人が暴走し、取り残されていた仲間を救出させる為と連合軍の侵攻を停止させる為に、他の軍事関係者が制止を防ぐことができず7発の戦術核をバルトライヒ山麓に投下させる。

公式記録では死傷者は12000人を超える。

[編集] ベルカ軍残党の駆除へ

6月13日 作戦名:ストーンエイジ作戦。

最大の資源地帯である、ベルカのシルム山のイェリング鉱山に立てこもるベルカ軍残党を第6航空師団が攻撃し、残存部隊の武装解除と投降をさせる。

6月20日 作戦名:ブルーム作戦。

停戦合意がルーメンで行われる中、アンファングのベルカ軍残党を第6航空師団が残存部隊への投降と武装解除を行う。

ただし、ベルカ兵にはアンファングは投降地点と伝えられていたが、一部の将校等がクーデター軍への参加を呼びかけるなどの混乱が起こり、将校への反乱やクーデター軍への強制参加に反対し将校を虐殺する事件も起きるも、混乱される中うやむやにされた。

[編集] 停戦合意

6月20日 海沿いのルーメンで連合軍の航空機部隊や装甲車両などの物々しい警備の中停戦条約が締結され、書類上ではベルカ戦争が終結される。

その際に、連合軍の意向からベルカ連邦は解体される。南部地方はオーシアに割譲、ノースオーシア州と名称を変える。

[編集] ベルカ残党を中心とするクーデター軍の動き

停戦合意の際に、攻撃を仕掛けて来た一部のベルカ軍残党兵の将校を中心とする「灰色の男達」と呼ばれる集団が、旧ベルカ軍兵士やかつての連合軍の主力であった、オーシア、ザピン、ウスティオの兵士達を集めた「国境なき世界」と呼ばれるクーデター軍を結成し、クーデターを起こす。

12月25日 ごく一部の戦力しか残されなかったクーデター軍は、旧南ベルカ国営兵器産業廠の開発途中であった航空機やアヴァロンダムを接収するが、その中にあった開発途中で放棄されていた旧ベルカ軍の大型ガンシップXB-0(フレスベルク)を使用しルーメンを空爆。その後、ガルム隊がこれを撃墜する。

XB-0を失ったクーデター軍は最後の拠点であるアヴァロンダムへ集結し、同時に開発が進んでいた大陸弾道弾であるV2と核も運び入れられる。

12月31日 連合軍もアヴァロンダムへの攻撃を決定し、戦力の投入を行う。

[編集] そして、終戦へ

連合軍は、対空陣地によりガルム隊の2機を残し全滅されるも、2機の活躍によりアヴァロンダムは陥落。

1機が謎の試作戦闘機に撃墜されるも、残りの1機が徹底的に追いつめる。

最後の切り札の2発目の核がV2により発射されるが、残った1機の戦闘機により阻止される。

[編集] 戦術

[編集] 投入された新兵器

この戦争では、ベルカの対空防御の要される高出力化学レーザー エクスキャリバーを実戦で使用された他、重巡航管制機 XB−0"フレスベルク"がクーデター軍により実際に使われた。

他にも、南ベルカ国営兵器産業廠のテスト機だったADFX-02"Morgan"が実戦に投入された。

[編集] 核の実戦での使用

この戦争では、初めて核が使用された。

ベルカ軍の好戦派が、残存兵の救出と連合軍によるベルカの首都であるディンズマルクへの侵攻を食い止めるために暴走した結果とも言われており、シュティーア城のある南ベルカのバルトライヒ山麓に7発の核が落とされた。

その結果、多くの残存兵を救出し、連合軍の進行がストップされ停戦合意までこぎ着ける事が出来たが、大きな代償も出ることとなった。特に、核の起爆により避難が遅れた多くの民間人も巻き込まれ、軍民合わせて約12000名の死傷者を出す結果となった。

2010年現在、未だに健康被害で悩む人たちも居る。

[編集] 灰色の男たち

戦後、「国境無き世界」のメンバーによって存在が知られた秘密結社。

このような組織が積極的に戦争介入した事が明かされたのは史上初。

そのせいか多くの戦記マニアが彼らを追いかけ、後年には「灰色の男たち」を題材にした架空戦記が多数執筆された。

[編集] 関連記事

[編集] 外部リンク