丑の刻参り

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丑の刻参り(うし-こくまい-)とは、日本古来の脅迫/制裁手段である。

概要[編集]

丑の刻参りの原型は古く鎌倉時代まで遡るが、その形式が完成したのは江戸時代に入ってからとされる。天下泰平の江戸時代になると庶民にも余裕が生まれ、色恋等を発端とした現代で言うソーシャルトラブルが多発するようになり、相手への恫喝や私刑の手段が一気に多様化していった。その中でも、社会的な信用を失墜させる目的で行われるのが丑の刻参りである。

丑の刻参りはその名の通り丑の刻(午前三時前後)に行うのが一般的で、その闇の中でも目立つように白装束で顔を白粉で染め頭に蝋燭を結わえた金輪(五徳でも可)を被り、更に髪を振り乱して行う。とにかく人目につくように、胸の前に鏡を下げることもある[要出典]。そして神社の御神木に相手の名前を書いた藁人形を打ち付け、「見られたら大変だ!誰かいたら殺してやる!」という類いの事を大声で叫ぶことにより終了となる。

これを行うことで周囲に「○○はこのような憎まれ方をする、ろくでもない人間である」とアピールするのである。わざわざ御神木を使うのも、当時の人々にとって娯楽施設であった神社仏閣[1]神社仏閣に中傷を撒く事で効果を高める狙いがある。これは現代においては匿名掲示板で中傷行為を行って名誉毀損を謀るのと同じ事であり、情報精度の低い時代には恐ろしく有効であったとされる[要出典]

丑の刻参りの誤解[編集]

上記の通り丑の刻参りは鎌倉時代まで遡る。当時の書籍『平家物語』「剣之巻」には既に橋姫が「顔には朱を差し、身には丹を塗り、鉄輪を戴きて、三の足には松を燃し」…と異様な格好をして、とにかく目だつことでその怨みを拡散しようとしたと記されており、丑の刻参りの原型がこの時代で完成していた事が伺える。

その異様さ故に丑の刻参りはしばしば呪いとして扱われるが、これは誤りである。あくまで社会的なダメージを与えるためのもので、悪意はあるが呪術的な意味合いは無い。ただし現代において丑の刻参りを行った場合、不法侵入や器物損壊などの罪に問われる可能性がある。「人を呪わば穴二つ」という言葉の通り自分もひどい目に合いかねないという点では、呪いの一種と言えなくもないかもしれない[不要出典]

脚注[編集]

  1. ^ 平成の御世には枯れた風情になっているが、当時の神社仏閣は謂わば日常を離れた極彩色のテーマパーク。御伊勢参りやお遍路はレジャーとしての一面もあったのである。

関連項目[編集]