伊秩弘将

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伊秩弘将(いじち ひろまさ、1963年4月26日 - )は、1980年代に培った才能を1990年代に使い果たして枯れてしまった音楽プロデューサーである。

来歴[編集]

倉庫番から一念発起(~1993年)[編集]

神田外語学院卒業後にいったん就職するが、配属されたのは何と倉庫であった。新人配属の時点で窓際族のような扱いを受けた事に憤慨した伊秩は「倉庫番するために生まれてきたんじゃない」と一週間で退社。その後はデモテープを粗製濫造してあちこちのレコード会社に持ち込む。それなら何で外語学院に行ったんだこの人は、という突っ込みについては気にしないでおく。

そのデモテープは総じてアンサイクロペディアで言うところのどうしようもない記事レベルであり、デモテープを持ち込んだ先々で「お遊戯会じゃない」「お帰りはあちらです」「えーと、あなたの名前って伊地知さんでしたっけ??」などと散々な扱いを受けるが、あまりにも粗製濫造が酷すぎたのを哀れんだEPICソニーが伊秩を渡辺美里の楽曲に起用することを提案。

「もちろん引き受けます」と伊秩は2つ返事で引き受け、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった渡辺美里への楽曲提供にチャレンジするものの、いざ作ってみた曲を渡辺に見せた瞬間「8分音符がいっぱいあるから8ビートって舐めてるの?」と一蹴される。その後は渡辺の指導を手取り足取り腰取り受けて作曲術を鍛えられ、なんとか1987年に「IT'S TOUGH/BOYS CRIED(あの時からかもしれない)」という両A面シングルの完成にこぎつけ、作曲家としての人生をスタートさせる。

その後は渡辺の他に森高千里久宝留理子谷村有美などにも楽曲を提供するようになり、彼女らを通じて作曲術を鍛えられたことで作曲家として一定の地位を1990年代前半の時点で築く。また何を勘違いしたか1989年には「アンブレラ・ストーリー」という曲で伊秩自身がソロデビューしたが、これは黒歴史となっている。

企画モノの時代(1994年~1995年)[編集]

1994年、森永製菓の氷製品のCMのために吉岡忍池田聡中西圭三と共に「ICE BOX」という期間限定ユニットを結成し、この時ICE BOX名義でリリースした「冷たいキス」がヒットする。しかし当時の伊秩は他の3名に比べて知名度で大きく劣っていたために「吉岡忍・池田聡・中西圭三ほか1名」「ICE BOXのあと1人って誰だろう」などという形で世間からは認識されていた。

翌年の1995年には、この後長期間タッグを組むことになる編曲家の水島康貴と共に「HIM(Hiromasa Ijichi Melodies)」というユニットを主宰する。HIMは伊秩本人が「サンプリングユニット」と公言する程のパクリユニットであり、当時ヒットしていたTRFglobeなどの小室サウンドを中心にパクリを堂々と敢行。それどころかメインVocalのHIMS、サブVocalのHIMK(現shungo.)のヴィジュアル面も思いっきりTRFからパクっていた。

このパクリ劇はあちこちから「ずるい」という非難が飛んだが、ひっそり洋楽などからメロディラインやリズムをパクってさもオリジナルのように曲を作る行為が横行していた当時の(現在も)邦楽界では「パクリを公言して曲をリリースするなんて逆に清々しい」と評価する人達も居た。その中にはライジングプロダクションの平哲夫社長が居り、平氏が「この子供たち4人を好き勝手に使ってくれ」とデビューが決定していたSPEEDのプロデュースを伊秩にオファー。「よくわかりませんけど頑張ります」と承諾する。

全盛期(1996年~1998年)[編集]

1996年、SPEEDのデビュー直前にHIMの派生ユニット「HIM-egg」を結成。この時リリースした「AS TIME GOES BY」は3年後に島袋寛子がカバーしたことによって彼女のソロ活動最大のヒットシングルとなるが、HIM-eggの一部メンバーにとってこのユニットは触れられたくない黒歴史であるらしく、ウィキペディアの同記事は度々白紙化の憂き目に遭っている。

それはさておき8月にSPEEDの1stSingle「Body & Soul」をリリース。「小学生に働かさせるな」という揶揄をものともせずヒットした直後にSPEEDの2枚目のシングル「STEADY」をリリースし、翌1997年にミリオンヒットを達成。さらに1997年3月にリリースしたSPEEDの3枚目のシングル「Go! Go! Heaven」でオリコンシングルチャート初の1位を達成。その勢いのままに5月にリリースしたSPEEDの1st Album「Starting Over」は200万枚近くを売り上げるというメガヒットとなり、小室哲哉・小林武史と並ぶヒットメーカーとして伊秩が持て囃されるようになる。その裏で1997年にHIMがひっそりと解散していたが、誰も気にしなかった。

またその勢いを借りてSPEEDのお姉さん版ユニットと設定したdeepsを1997年に結成。しかしその中身はただの小汚い素行不良なコギャルであったために「こんなお姉さんは嫌だ」とあちこちから悲鳴が飛ぶことになる。また同年には「ヒットシーンとは路線を異にした”消費されない音楽”を作りたい」というコンセプトで大塚純子田辺恵二と共にガーデンズを結成してこちらでも楽曲プロデュースを開始し、そこそこヒットする。

その後もSPEEDのSingle「White Love」と「my graduation」、Album「RISE」の200万枚クラスの大ヒット、ベストアルバム「MOMENT」の250万枚ヒットなどメガヒット作を連発し、それに派生する形でdeepsやガーデンズ、1998年にデビューさせた八反安未果のデビューシングルでさえもヒットするようになる。その結果1998年にはオリコン作曲家売り上げランキングでとうとう1位となり、まさに「全盛期」と呼ぶに相応しい実績を挙げた。

が。

その後落ち込んでいくのが「全盛期」の定めである。

枯れ始め(1999年~2000年)[編集]

伊秩作品のミリオンヒットは、実は先述のSPEEDベストアルバムが最後である。1999年に入るとSPEEDの作品が急速に売れなくなり始め、それと共に「伊秩の才能が枯れ始めた」と囁かれるようになる。

その囁きは3月の知念里奈を皮切りに「HIM楽曲のカバー」を連発リリースしたことで本格化した。最初は「伊秩とSPEEDの原型放出」などと興味を持って見られていたが、その後SPEED・今井絵理子(Eriko with Crunch)・deeps・MAX・八反安未果・島袋寛子(hiro)・新垣仁絵(HITOE's 57 move)と立て続けにカバーリリースを行ったことで「伊秩は1998年で才能が枯れたか?!」と世間から本気で心配されるようになる。さらにカバーの質も玉石混交であり島袋寛子の「AS TIME GOES BY」のようにVocalのキャラクターとマッチしてヒットした曲もあったものの、大半は「ミスマッチ」「原曲の良い雰囲気ぶち壊し」「マキシシングルに1200円も払ってお遊戯会を聴かされた」などと散々な評価を受けてしまった。

さらに同年にdeepsを「要らない子」として楽曲ではなくユニットごとリリースし、翌年の2000年にはSPEED解散と同時にガーデンズも解散。その後も八反安未果と島袋寛子のプロデュースをD-LOOPというユニットをやっていた作曲家の葉山拓亮に譲り、伊秩自らは隠居への道を歩み始める。

隠居生活(2001年~2004年)[編集]

2001年には今井絵理子もプロデュースを葉山拓亮に任せるようになり、一時期2桁近くあった「伊秩プロデュース」の歌手・ユニットがゼロになる。その後この期間は平哲夫氏の脱税事件裁判の進展がある度に再結成が行われたSPEED関連で散発的に楽曲をリリースする以外はあまり目立った作曲活動をせず、悠々自適の隠居生活を送る。

その中でも2003年の2回目のSPEED再結成の時は比較的力を入れたプロデュースを行い、フルアルバム「BRIDGE」では伊秩曲と他の人(ゴスペラーズTommy february6つんく等)の曲を交互に入れた構成にして「豪華クリエイターの中でも強い伊秩の存在感」を示そうとした。しかしファンの間では「Tommy february6とは合うんだな」「ゴスペラーズもいいね」「つんくの挑戦に力強く応えたhiroと絵理子カッコイイ」などと伊秩以外の楽曲ばかりが話題になり、伊秩曲については「そういえば居たね」「終わった感満載」「進歩がない」「もう伊秩の歌詞飽きた」という散々な評価にとどまってしまった。

この散々な評価に対して伊秩は大ショックを受け、2004年になるとほとんど活動の声を聞かなくなり、隠居を通り越して引きこもり生活を送るようになる。

枯れた後(2005年~)[編集]

2005年に引きこもり生活の資金が途絶えてくると伊秩は作曲活用を再開し、Kinki Kidsw-inds.などへ単発的に楽曲提供するようになる。その後2008年にSPEEDが今井絵理子の養育費を稼ぐ目的で3度目の再結成を行うにあたり、SPEEDプロデュースを再開。1990年代の最強タッグ復活に話題が集まった。

が。

話題になったのは再結成を発表した24時間テレビの時だけだった。CDシングルは2010年になると売上1万枚台という低空飛行が続くようになり、フルアルバムも作れない。それ以前にシングル曲すらも連続では提供できず、伊秩プロデュース→次は他の人プロデュース…と1作ずつ間を空けざるを得ない状態。

そしてSPEEDライブツアーをやっても「もう枯れた人達には興味がない」と長年スポンサーとして付き添ってくれたファミリーマートにすら見放されてしまい、2010年のSPEEDツアーは予算不足のためSPEED初の「バックバンド無し」で行われるハメになった。そのツアーでは、土日で1500席の観客席すら埋まらない中で客席の後ろでステージを見つめながら「この音響じゃなあ…」と寂しくぼやく伊秩の姿が多数目撃されていたという。

世間から「枯れた人」とみなされた今、「あの人は今」で取り上げられる日も、そう遠くないのかも知れない。

経歴のまとめ[編集]

結局、伊秩は「蓄積した才能は3年で使い果たす」ということを証明した人物であると言える。

特徴的な歌詞[編集]

伊秩の歌詞は「とにかくエロい」ことで知られている。それはおニャン子クラブの「セーラー服を脱がさないで」というタイプのエロさではなく、「むっつりエロ」タイプである。ここではその一部を紹介する。

SOMEBODY STOP ME(HIM)
サビの歌詞で「OH~ナニ~が足りな~い」という箇所があるが、当然のようにオナニーが足りない」と歌わせている。この曲のVocalが男(HIMK)である点が残念。
Luv Vibration(SPEED)
SPEEDの1stAlbumに収録。レコーディング当時12歳・小学校6年生だった島袋寛子に「愛撫して」と歌わせている。当時アラサーの伊秩がレコーディングで小学生に「愛撫!愛撫!!」と何度も歌わせる風景はさぞかしシュールだったと思われる。
Kiwi Love(SPEED)
同じくSPEEDの1stAlbumに収録。こちらも12歳の島袋寛子に「終電も行っちゃったね どうする?」と歌わせている。思いっきり非行推奨である。また13歳の今井絵理子に「最近マンネリだよコウジとは」と歌わせ、「コウジって誰?」と話題になる。
季節が行く時(SPEED)
1999年にSPEEDが出した8thSingle「Precious Time」のカップリング。この中には「体の奥がつながってる」という、セックスを連想させる歌詞がある。これだけならよくあることだが、よりによってこの曲はドラえもん映画の主題歌として採用されていた。当時、全国の映画館でこのフレーズを無防備に子供に聞かせてしまい、子供から「パパー、ママー、体の奥がつながってるってどういうこと?」と無邪気に聞かれて気まずい雰囲気になった家族連れが多数発生したと言われている

関連項目[編集]


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