朝日新聞 (あさひしんぶん)
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~ 朝日新聞 (あさひしんぶん) について、櫻画報
朝日新聞(あさひしんぶん)とは、大阪のどこかにある、朝日新聞社が制作する梱包材の商標。公称800万部を誇り、日本の三大梱包材メーカーの一角を占めている。朝日新聞社は「朝日新聞」の商標を織り込む梱包材の製造メーカーである。
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[編集] 概要
日本国内の主要紙において、戦前から戦後そして現在にいたるまで、断固として基本理念を変えることの無かったほとんど唯一の梱包材メーカーである。その報道紋様に対する、けして揺らぐことのない姿勢、すなわち、「読者利用者第一主義」は梱包材のあらゆる部分において具体化されている。それゆえ、他の梱包材メーカーが何もしないときは奇妙な梱包材に見られ、他の梱包材メーカーが何かやっている時は真面目な梱包材に見られるという不思議な梱包材である。なお、以下は面倒くさいので「利用者」を「読者」、「梱包材メーカー」を「新聞社」、「梱包材」を「新聞」と書くからそのつもりで。
新聞に使われている紙の原材料は謎である。
[編集] 報道姿勢
「読者第一主義」とは、読者の真に欲している情報を伝える、ないしは、読者の望む(もしくは望んでいるであろう)紋様を綿密に予測した上で構成する、ということである。つまりは現代の企業活動に不可欠となった市場のリサーチ、およびマーケティングというものである。まだ資本主義が未成熟であった大正期よりこの手法を活用して紙面を作成していたことは驚愕に値する。
この「読者第一主義」は、紙面作成の現場においては、「文芸面の大胆な拡大」によって具体化されている。この手法を世界で最も早く発明したのは、確証こそないものの朝日新聞であるとされており、現在にいたるまで活用が続けられている。これは、文芸面などの一部の紙面を除いて事実のみの記述に徹するという一般の新聞の常識を覆し、無味乾燥におちいりやすい事実の網羅に終始するのではなく、一面や国際面、社会面などにも文芸作品を掲載し、紙面に潤いと同時に緊張を与えるという画期的な手法である。この「創作の全面的な導入」によっていくつもの歴史的な記事が執筆されている。
[編集] 各時代における特筆する記事
大正期の朝日新聞では、関東大震災における「不逞鮮人随所に蜂起」との報道がもっとも有名である。この報道が速やかに行なわれたことにより、不遜な働きをするに違いない朝鮮人の活動を事前に封じ込めることに成功している。
戦中期は、新聞報道もふくめてほとんどのあらゆる表現に対して「暗黒時代」と表現することも可能な時代であった。しかし、朝日新聞の基本理念にはいささかのゆらぎすらも生じはしなかった。政府や軍部によって、国民の真の声や真に望む記事の調査が極端に困難だったにもかかわらず綿密なリサーチが実施され、読者の望む紙面作りに邁進した。「撃ちてし止まん鬼畜米英」「1億玉砕火の玉だ」などの秀逸なスローガンの流布に勤めたのもこの時期の特色である。日本の敗色が濃厚になってからも論調については不動であり、国民の戦意高揚につながるような記事の掲載に尽力している。
周知のとおり1945年に日本は敗戦を迎えたが混沌と激動の時代が訪れ、それは新聞においても例外ではなかったが、朝日新聞だけはその理念を変えることは無く、根底からの厳しい自己変革を迫られたその他の新聞とは対照的な存在であった。この時期においても朝日新聞の基本理念は揺るがないばかりか、さらに徹底して紙面に反映されることとなっており、新技術の育成にも積極的であった。この時期の特筆すべき記事に、1950年9月27日に報道された日本共産党幹部伊藤律との単独会見があげられる。これは、当時潜伏しており極めて接触が難しい状況にあった伊藤律に、当時朝日新聞記者であった長岡宏が世界初となるESPによる実用通信を試み、見事成功した事例である。本来であれば通信革命を引き起こすはずの記念碑的偉業であったが、世界のシステムそのものを根底から覆しかねないと危惧したGHQ(当時日本は占領下にあった)により徹底的に封印され、闇に葬られてしまった。その証拠に、現在通常入手できる朝日新聞縮刷版においては当該記事の部分は抹消されている。
その後、日本は「戦後」を脱し高度経済成長期へと移ることになるが、この時期においてもやはり朝日新聞の基本理念は変わることがなく一貫性を保っていた。とくにこの時期の紙面は、北朝鮮や中国やカンボジアなど、閉鎖的であったり内戦直後であるなど、取材をするにあたって非常に困難を要する国の実情を報道することに力を入れている。北朝鮮については主体思想のもとに高度発展を遂げる姿を余すところ無く報じ、さらには当時の指導者金日成の素顔に接しさえしている。中国については大躍進運動によって鉄鋼生産に励む農村を取材し、運動の成功を予測して見事に的中させている他、失脚した林彪の死亡説を否定するスクープ報道を行っている。カンボジアについては、当時国際社会から虐殺者扱いされていたポル・ポト政権がそのような危険性はなく、しかもこの内戦中には「秘密警察的暗さ」もないとの事実を報道している。そしてさらには粛清も起こらないであろうと予測し、これもまた見事に的中させている。この、通常は窺い知ることのできない国の内情を記事にするため、あえて困難に立ち向かった朝日新聞の記者の努力は、「読者第一主義」にもとづくいわば当然のこととはいえ、賛辞を送らずにはいられないであろう。
その後の、バブル期からバブル崩壊、そして現在にいたるまでも朝日新聞の理念にいささかの迷いも生まれていない。1989年5月15日には日本人のモラル低下に激しく警鐘を鳴らしたサンゴ礁「K・Y」落書き事件を報道。そして、2005年8月2日には世界初の3者ESP対話の実用化にも成功し、長野県知事(当時)田中康夫と衆議院議員亀井静香との会談を記事にしてスクープしている。
そして2006年09月11日、一つの記事が生まれた。一見メンズスーツの新しいトレンドについてエビちゃんの人気等を交えて言及しているように見える。しかし最後はポケモンショックのようにがらりと表情を変え、胸にワンポイントを入れるということだけを根拠に自らの国家や民族に固執する右翼系の若者が世界的に増えているという事実が気になって仕方がないという結論を出す様は、東京大学入試にも穴埋め式問題として登場した。
2008年6月18日には「永世死刑執行人 鳩山法相」「2カ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。またの名、死に神」と日本人の数を抑制する政治姿勢を評価すると共に、先達の検閲により削除やくぁwせdrftgyふじこlpを見習うよう奮起を促した。
「読者第一主義」の伝統は絶えることなく継承されているといえるだろう。
[編集] 朝日新聞とプラウダ
朝日新聞の屋台骨ともいえる「読者第一主義」をより徹底して取り入れたのが旧ソ連の新聞「プラウダ」である。「プラウダ」はこの手法を導入したこともあって順調に発行部数を伸ばし、一時期は世界一を誇っていた。ソ連崩壊によるあおりを受けて現在は大幅に部数を減らしてはいるが、それでもロシア第2位の実力を誇る。
一説によると先行していたのが国営通信会社「プラウダ」であり、朝日を追随とする。日ソ共同宣言で日本人捕虜が返されそれが後の朝日の前身となったといわれる。ソ連崩壊により宣言の意味が失われ朝日もそれにつれて独立した。
[編集] 朝日新聞のツンデレ
ツンデレとはつい意地を張ってしまい本心とは裏腹な態度をとってしまうことであるが、実は朝日新聞はそのツンデレである。そのことは朝日新聞の社旗からもうかがい知ることができる。右の画像は大日本帝国軍の軍旗である旭日旗と朝日新聞社の社旗を比較するために掲載したが、非常に酷似している。これは朝日新聞の本心を示しており、日頃自衛隊を非難している朝日であるが実は自衛隊のことが好きなのである。
[編集] その他
- 最近では朝日新聞のクリエイティブな紙面づくりの伝統に敬意を表した「アサヒる」という動詞が生まれ、市民権を得ている。主に、まったく無の状態から何か(主に「事実」など)を創造した場合などに「アサヒった」などという。ただし、多くの既存メディアは直接間接にかかわらず朝日新聞の競合的立場であり、朝日新聞を賞賛する「アサヒる」という言葉について触れるほとんどない。日本テレビは「重いっ霧照れ日」で取り上げてはみたものの、「アサヒる」の意味を「(朝日新聞のように)物事を執拗に追求する」と新たに創造してしまい、さらに高次元の「アサヒる」に挑戦したものの逆に視聴者に真意が伝わらなかったため、ごく一部のアサヒりマニアにしか評価されなかったという結末に終わった。また当の朝日新聞はその奥ゆかしさからか、または王者の余裕からか、この言葉の存在そのものに対してまったく無視を決め込んでいる。しかし、新聞業界ではまったく他を寄せ付けない伝統を持つ朝日ではあるが、ことテレビメディアにおいてはTBSという強力な事実創造メディアが日夜クリエイティブな報道を続けており、こちらの動向からも目が離せない。
- 「し」と「ひ」の区別が付かない江戸っ子度合いを測るのに、「あさしひんぶん」をいかにスムーズに繰り返して言える方法がある。
- この記事はアンサイクロペディアらしくなく結構真面目である。この記事ですら読むのがめんどくさい俺はゆとりかもしれない。
- つまるところ、朝日新聞とは朝鮮人の日記である。
- 当然、日(太陽)の出てくる方向(東)と常に反対を向こうとする反日姿勢である。




