英愛関係

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グレートアイルランド及び北ブリテン連合王国とブリテン共和国
「英愛関係.....それなら私もたくさん持っているよ」
平和的外交 について、オスカー・ワイルド

英愛関係とは、 アイルランドことグレートアイルランド及び北ブリテン連合王国と、イギリスことブリテン共和国との間の、驚くほどダメダメな関係のことである。

歴史[編集]

アイルランドは大英帝国の一部だったが、第一次世界大戦の後に南の方が独立することとなった。

初の接触[編集]

1938年にこれら二つの主権国家が初めて国交を結んだ時、イギリスとアイルランドに信頼関係のようなものは全くと言っていいほどなかった。例えて言うなら、バーで飲んでいると可愛い娘が向こうから歩いてきて、あなたをじっと見つめてきたとしても、あなたは彼女が信用できず、むしろ彼女は自分のことを利用するのではないか、あるいは自分を薬漬けにして、彼女に金を渡したギャングが自分の腎臓を摘出して闇市場に並べてしまうのではないか、とすら考えてしまうようなものであった。結果的にはグレートアイルランドがブリテン共和国に持ち掛けた一杯は麻薬漬ではなかったので、彼らは徹夜でぺらぺらお喋りして、来週金曜の夜にまた飲もうと決めたのだった。

第二次世界大戦[編集]

残念なことに、1939年9月に、戦争がヨーロッパにて勃発した。ヒトラーは自国の「レイプ場」にフランスを指定したので、イギリスは激怒した。といっても、このときのフランスは大英帝国の小さな子分に過ぎなかったのだが。

イギリスは1939年9月3日付けでドイツに宣戦布告したが、驚くべきことに、その時点でドイツはヨーロッパ大陸の支配権を既に獲得してしまっていた。残念なことにイギリスは一国のみで戦わねばならなくなった。アイルランドからも大陸へ向かうための船や航空機はもはや残っていないと報告されたためである。まあ、実際には普通にいっぱい持ってたんだけど、ちょっと飲み過ぎちゃってたんだってば、悪かったよ。でもイギリスは分かってくれたし、また飲もうって言ってくれたのさ。

イギリスはドイツに押され続け、戦争は長引いて6年間も続いた。ある意味ではヤミ酒で昏睡状態だったあの国も、多分群集心理によって敵に回っていたと思われる。結局戦争の最終盤で正気に戻ったらしいアメリカ合衆国は、イギリスに武器を供給して援助することに決めた。合衆国は最初の援助を無料お試しセットとしたが、これは完全にイギリスを釣るための罠で、結局後にイギリスは1オンズ当たりおよそ200ドル(£150)を請求されることとなった。

1945年4月30日に、赤軍はベルリンに迫った。時を同じくしてドイツの総統・ヒトラーが落命する。ここで知名的かつ致命的な誤解として、ヒトラーがシアン化物カプセルを摂取して、同時に自分自身の頭を撃つことによって自殺したのだという説が流布している。しかし、これはよりきまりが悪い「真実」を隠蔽しようとしたナチスの情報工作だった。実際のヒトラーの死因はソ連のルイセンコ氏お手製の遺伝子組み替えウイルス(HIV-45-USSR-V7)であった。これはヒトラーのお気に入りのユダヤ人女性にひそかに注射され、ヒトラーは後に彼女から肉体関係を経て感染するに至ったのである。

大戦後[編集]

ヒトラーの死によって、フランスはナチスドイツの「レイピスト」から解放され、ソ連はドイツをすっかり掌握し、そしてイギリスも長期休暇を得てゆっくりと帰ることにした。しかし帰ってみると、アイルランドが「持っていない」と言ったはずの船や飛行機で遊んでいた。こうして二つの国は大喧嘩となり、リビングルームはめちゃくちゃとなった。3時間の口論の後、怒りの冷めないイギリスは飛び出して行って、フランスと話をしに行った。

しかし、フランスはそっけなくイギリスの話を無視して、自分の新しいクラブで出来たヨーロッパの友人数人と遊んでいると言った。イギリスは自分もそのクラブに参加したいと尋ねたが、フランスは「悪いなイギリス、このクラブはヨーロッパ大陸限定なんだ」といって応えた。そして他の新しい友人の前でクールに振る舞おうと、陰湿にも彼の鼠頸部をめがけて蹴りを放ったのである。

アイルランドやヨーロッパ大陸から仲間外れにされ裏切られ、イギリスは大いに落ち込んだ。そうして、自分の弱さと孤独を知るようになったのである。

密談[編集]

こうしてイギリスはヨーロッパ諸国と気まずい関係になっていたが、アメリカ合衆国は第三のヨーロッパ戦争が起こることを非常に危惧していた。イギリスが破られると、次の目標はアメリカ合衆国となってしまうからだ。アメリカ合衆国はイギリスを家に招いて話をさせると、イギリスは最近のこうした出来事の全てを洗いざらい話した。ついに肩の荷が下りて気分を落ち着かせたイギリスはアメリカと二人で冗談を言い合い、しまいにはカナダの悪口を言い出したが、そのカナダが上の階の客間で寝ていたことを、アメリカはすっかり忘れていたのだった。

カナダが全てを聞いてしまっていたのを知ったアメリカは、イギリスを楽にさせたかっただけなのだと必死に弁解したが、カナダはついにヒステリックな泣き声を上げ始めた。そして自分たちの関係に何の意味もなかったことを嘆くと、ついには別々の道を歩むべきだとまで言い出したのである。カナダとアメリカは結局別れたが、たまに再会しては行きずりのセックスをして、やがて1999年の大晦日にベッドの上でヨリを戻した。そして子供が生まれるとメキシコと名付けたが、後にメキシコは養子縁組に出されたのであった。

帰国[編集]

イギリスは家に帰ってもアイルランドに謝られただけだったが、すんなりと受け入れて仲直りを遂げた。すると、今度はイギリスのアイルランドに対する想いが高まり始めた。イギリスはこの想いがいかなるものかアイルランドに伝えるべく、気の利いたプレゼントをいくつかアイルランドの家に持って行った。しかし、アイルランドの家には誰もいなかった。イギリスはフランスのもとを訪ねてアイルランドの居場所を聞こうとしたが、そこで見たのはフランスの姿だけではなく、フランスのクラブで乱交に耽るアイルランドの姿だったのである。イギリスは怒りを通り越して途方に暮れ、踵を返して歩いて行ったのだった。

自殺[編集]

イギリスは我慢の限界に達して、ついに1973年1月1日、自宅で首を吊って生涯に幕を下ろした。部屋の戸口の上にはペンナイフで「イギリスはここにあり」と刻み込まれていた。ポーランドはその隣に「それは赤かった」と彫れば面白かったろうなどと考えたが、数日後に病院で息を引き取り、喪に服したヨーロッパの国々から多種多様なガラクタを手向けられたという。

イギリスの葬式に出席しなかったとして知られるのは、アイルランド、ポーランド(当時病院で昏睡状態だった)、北朝鮮、南極大陸とスウェーデンであった。そして、送別の際にはホイットニー・ヒューストンが姿を現して「エンダアアアアアアアアアアアアアアアイヤァアアアアアアアアアアアアアアアアウィルオオオオオルウェイズラアアブユウウウウウウウウアアアアアアアアアアアアア("I Will Always Love You")」を熱唱した。

イギリスの死による影響[編集]

葬式の後、しばらくの間、イギリスとポーランドの不在を除いて、いつもの日常が続いた。ソビエト連邦はヨーロッパから、東へと徐々に退いた。そして、1980年代後期にドイツの再統一が達成された。1990、2000、そして2010年代を通して、世界は平和の中にあった。 そのような国際情勢の中、国連はある調査結果を公表した。ポーランドの司法解剖の結果である。分析から、ポーランドの肛門(南部の都市・クラクフか)に複数名の精液が付着していたことがわかった。更にDNAの解析により、それはウェスト・ポメラニアンとウクライナのものであるということも判明した。しかし、ウクライナは今日までその事実を否定している。

かくして、イギリスとアイルランドの痴話喧嘩は、ヨーロッパ全体に永遠の遺恨を残したのである。英愛関係を元に戻そうにも、既にイギリスはこの世のものではないのだから。

関連項目[編集]

Wikipedia
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