陸遜
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
陸遜(りくそん 183年 - 245年)は、字を伯言。史上もっとも活躍し、功を成した中華一のパシリとして有名であり、かつ重度のロリコン。
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[編集] その生い立ち
呉郡呉県の人。陸氏は呉郡の四姓と呼ばれるほどの名家・豪族であり、若き陸遜はなに不自由のないボンボン生活を送っていた。例えば、MG・サザビーを組み立てていたが、途中で飽きて面倒くさくなったとする。そんなとき、陸遜は一言「よろしーく……」とさえ言えば、後は召使いがこれを組み立ててくれるのだ。このような若き陸遜を取り巻いた環境こそが、後年彼を中華一のパシリと言わしめたような、その主体性と覇気の欠如をもたらしたと言えよう。また、余談ではあるが、かの偉大なる漫画家荒木飛呂彦は、この陸遜の主体性の欠如さ加減と、「よろしーく……」というその口癖に着想を得、かの老師トンペティを生み出したという。ジョジョの奇妙な冒険において、トンペティの活躍が実にぬるく、雑魚のゾンビを追い払う程度にしか過ぎなかったのは、実はこの点に原因があったのだ。 だが、そんな陸遜でも一月に一度、鼻息を荒げる時があったという。それは、当時の諸大夫層の子弟のうち、ちょっぴりヒッキー度の高いおともだちをとりこにしていたという、「若跳版・老禅銘伝」の発刊日であった。陸遜はこれを読みふけり、「真紅たんハァハァ……真紅たんみたいなカワイイ妹が欲しいよう……」と、次第にロリ道に目覚めていったという。これは後述する内容ではあるが、陸遜のそのささやかな願望は後に達成される。
[編集] やたー!!美少女を嫁に
だが、陸遜のそんな微笑ましく、和やかな日々はそう長くは続かなかった。なんと、かのボス猿袁術の命令を受けた孫策が、陸氏の家長にあたる陸康が治める廬江に攻め込んできたのである。もう高齢だし、あれは勃たないしで弱っていた陸康は、すっかり諸々の処置が面倒くさくなってしまい、後のことは「よろしーく……」と言いつつ、幼い実子陸績の身と、陸氏の家長の座を陸遜に丸投げしてしまった。当の陸遜は「(´・ω・`)」という顔をしたのみであったという。 やがて陸遜らのいる呉郡までが孫氏の治めるところとなり、上記のような経緯から、陸氏と孫氏の対立関係は続いた。だが、この対立と緊張関係が、なんかもう面倒くさくなってしまった陸遜は、孫策の後を継いだ孫権とさっさと和睦し、その幕下に加わったのであった。孫権は大いに喜んで、亡き兄孫策の娘を陸遜に嫁がせた。 この孫策の娘であるが、当然いたいけな少女である。 (だって孫策の生年って175年だもの。孫策が早熟のヤリチンちゃんだったと仮定しても、この娘の生年って大体192年くらいだよね?陸氏が孫氏と和睦したのは、孫策が没した201年より後、大体202年頃が想定されています。ということは、結婚当初の娘たんの歳は大体十歳くらい。) しかも、なんと彼女は美少女ですた! 陸遜が、ロリな妹が欲しいと切望していたということにはすでにふれたが、なんと妹どころかこれを嫁にもらってしまったのである。すなわちアーン♥♥なことやアーン♥♥なことをしてもよいという公認すら頂いたのだ。もう陸遜ちゃん大ハッスル!!アレたるやチョモランマもおったまげ~!!というくらいの大膨張だったと呉書には書いておる。 その後の陸遜は、山越という南の蛮族の追討とか、山賊退治とか、ファイアーエムブレムの主人公みたいなぬる~いお仕事ばかりを押し付けられパシラされるのだが、美少女を嫁にもらった彼は、甚だこれを恩に感じてそんな任務にも忠実に従ったのであった。
[編集] 呂蒙に丸投げされる
219年当時、荊州の領有をめぐって、孫権と劉備との間には水面下の亀裂が生まれつつあった。荊州を治める関羽に、都督としてあたっていたのは呂蒙であったが、呂蒙はヒゲのむさいオッサンと長時間にらめっこをしているのには飽きたと、病気と偽ってその任を降りてしまう。そしてあろう事か後任に体よく陸遜を指名したのである。 この当時の陸遜であるが、かつての少女であった妻は二十代後半と、すっかり成長しきってしまっていた。すなわちロリ分の欠如である。このことからフラストレイションの大変に鬱積していた陸遜は、もはやヒゲのオヤジになど微塵の容赦もしなかった。商人に偽装させた兵を敵の城に潜入させるとか、敵将を内応させるとか、敵将の妻や娘を人質に取り、特に娘(幼女)とアーン♥♥なことやアーン♥♥なことをするなど、それなんてエロゲ?というくらいに卑劣な手を用いて、関羽の軍をガタガタに切り崩したのである。こうしてむさいオッサンは敗れて捕らえられ、無残にも刑場の露と消えた。
[編集] 真紅の炎
ヒゲのオッサンとムフフな仲であった劉備は激怒し、孫権の治めるところとなった荊州に大軍をもって侵攻してきた。孫権はそんな大軍の相手をするのは非常に面倒くさいと、陸遜に軍の全権を丸投げし出陣させた。 当の陸遜であるが、このころになると面倒ごとは自分のもとにお鉢が回ってくるのだという、その仕組みを漸く理解しつつあった。彼は夷陵で劉備軍と対陣はしたものの、自分の損な役回りと立場に対してすっかりへそを曲げてしまい、全軍に劉備軍と交戦するなとの命令を下したのだ。もはや完全なるサボタージュである。そうして陸遜は軍務を他所に「老禅銘伝」を読みふけった。だが、この耽溺こそが孫呉に勝利をもたらすこととなるのだ。 「余が愛してやまない真紅、真紅の象徴「赤」、赤い炎・・・ハッ!火攻めこそが必勝の策!?」 このような痛い連想をした陸遜は、所詮それが思いつきの作戦にすぎないのにもかかわらず全軍に号令をかけ、長蛇の陣を構えていた劉備軍の陣営に突如夜襲をかけ、火を放ち、意外にもこれを壊滅させることに成功したのである。 オタク戦法に敗れた劉備は甚だこれを恥じ、体を壊してポックリ逝っちまいましたとさ。
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