静かな湖畔の森の陰から男と女の声がする

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静かな湖畔の森の陰から男と女の声がする(しずかなこはんのもりのかげからおとことおんなのこえがする)とは、日本童謡である。

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ウィキペディア専門家気取りたちも「静かな湖畔の森の陰から男と女の声がする」については執筆を躊躇しています。そのような快挙を手際よくやりおおせたことは、我らの誇りです。


概要[編集]

曲はスイス民謡が元となっているが、意図的に短縮されている。作詞者は不明。いつのころからか、日本全国の小学生により歌い継がれてきた。しかしながら、中学生以上になると、誰もがしだいにこの歌詞を忘れたかのように振る舞い、誰に強制されたわけでもないのに、東京YMCAによる輪唱のためのバージョンを歌うようになる。このため、表向きには東京YMCA版のほうがより人口に膾炙しているとみなされてきた。

二つのバージョンを比較してみよう。

静かな湖畔の森の陰から        
男と女の声がする           
Ahaaan Uhuuun           
そこは ダメよ            

(YMCA版)
静かな湖畔の森の陰から        
もうおきちゃいかがとカッコウがなく
カッコー カッコー 
カコ カコ カコ

静かな湖畔の森の陰から
おやすみなさいとフクロウなく
ホッホー ホッホー
ホホ ホホ ホホ

          
「男と女」バージョンのほうがはるかに優れていることは言うまでもない。情報量が必要最小限に抑えられていながら、不自然さは一切ない。人間の生理に対して大らかであり、売春が合法で行われているスイスの実態に即してもいる。さらに言えば、聴き手のイマジネーションを十分に喚起するものである。男女で何をどこまでしているのか。「そこはダメ」というのはどこのことなのか。歌詞の中でそれらは、賢明にして、明言されていない。広い解釈の余地を残している。

一方のYMCAによる歌詞は冗長であるだけでなく、曲に引きずられて、肝心の鳥の鳴き声が完全に再現できていない。発想はきわめて貧困で、スイスと聞いてすぐに浮かぶ漠然としたイメージの粋を出ず、キリスト教的狭量さにあふれている。

その秀逸すぎる歌詞のために、「男と女の~」の歌詞は長くアンダーグラウンド・カルチャーにとどまってきた。2002年、NHK紅白歌合戦において歌われるまでは。

惨劇[編集]

第53回紅白歌合戦の中盤に余興として行われた「歌で遊ぼう!紅白Ring Show」は、その痛々しいタイトルから予想される以上の惨憺たる状況を呈していた。YMCAバージョンの歌詞をワルツの曲調で輪唱してつないでいくというだけのことに出演者がたびたび苦戦し、二度やって二度とも成功しなかったのだ。生放送である。コーナーの司会を務める中居正広はいつも通り何も考えていなかったが、それ以外はみな動揺していた。NHKアナウンサーも審査員も、あまりの事態に顔をひきつらせていた。この雰囲気から脱却できるか否かは、次の「ラップ風」輪唱が成功するか否かにかかっていた。歌い始めを担当するのは、SMAP木村拓哉であった。そして彼は実に見事にやってのけたのである。

静かな湖畔の森の陰から 男と女の声がするゥ Ahaan Yeah.


さすが体は大人、頭脳は子供、キムタクの面目躍如である。直後に、よりによって和田アキ子が、彼をフォローするかのように同内容を繰り返した。審査員のひとり、米倉涼子が火が付いたごとく笑いだした。NHKアナウンサーが「木村さんッ」と詰め寄ったが時すでに遅く、続く天童よしみが音程を大きくハズしたことにより、もはや事態の収拾は不可能となった。

「静かな湖畔の森の陰から男と女の声がする」が広く知られていることだけでなく、NHKアナウンサーのイマジネーションの豊かさを白日の下にさらすことに成功したのである。この歌詞の一般化およびスイス文化の周知に貢献したキムタクの功績は大きい。しかしながら、今に至るまで、彼をスイスの親善大使に推薦する、という声はない。不思議なことである。

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