9月1日
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8月 - 9月 - 10月 |
9月1日(くがつついたち)とは、一部のある種の人間にとって、この世の終わりとなる日である。英語では"black Monday"と呼ばれるのは気持ちが大恐慌のように急降下するからであろう。ただし、地域や学校によっては、この世の終わりが別の日となる場合が多い。
なお、美しい国など西洋のものにとっては、日本の4月1日と同レベルくらい大事な日らしい。
1923年[編集]
1923年9月1日には、関東大震災によって、実際に「この世の終わり」のような事態が起きてしまったことがある。又、この9月1日は多くの台風が日本を襲って来る時季でもある。これらの経緯から、日本では、この9月1日を立春から7ヶ月(=210日)後であることに因んで「二百十日」と称し、この世の終わりを想定した大規模なセレモニー(いわゆる避難訓練)を全国各地で、政府や自治体・消防団などの主催の下で行う日でもある。学生たちにとって、夏休みが終わった瞬間、始業式に避難訓練という面倒な日である。大抵、この日は笑いながら小学生が避難訓練をする姿が問題視されている。
1939年[編集]
1939年9月1日には、リアル第二次世界大戦が勃発して、ポーランドが、アドルフ・ヒトラー率いるナチスドイツ軍と、ヨシフ・スターリン率いる蘇連邦軍に挟み撃ちされた日である。ポーランド国民にとっては「この世の終わり」となった日であり、「この世の終わり」が終わるのは6年後を待たねばならなかった。
又、ポーランドと同じく「この世の終わり」になった市名が、日本の茨城県北部に在る助川である。7世紀から続いた助川という都市は、自治体としても「助川町」であった。しかし、市制を布く際に、「助川市」名称があっさり撤廃され、企業名を市名にした「日立市」に変更されてしまった。これは、企業が自治体を乗っ取った例(企業市名)の最初でもあった。
1983年[編集]
1983年9月1日には、蘇連邦上空に半島行きの航空機が飛来。それを目撃した蘇連邦軍は、乗客の中に夏休みの宿題が終わっていない人がいるのではないかと勝手に妄想し、航空機めがけて射撃訓練を行ったものである。これにより、夏休みの宿題が終わっていない人を救えたかに思えたが、実際はその8年後に蘇連邦にとって真の「この世の終わり」を迎えるという皮肉な結果となった。
2001年[編集]
2001年9月1日には、イスラム教の物好きがニューヨークで「この世の終わり」を起こそうとした。しかし、8月6日に「この世の終わり」を起こそうとした彼らも、夏休みの宿題が終わっていなかったため、ズル休みして宿題をこなしていた。そのため、飛行機をビルに突っ込むという彼らの計画は10日後に延期された。
日本でも、2001年9月1日には東京都歌舞伎町の雑居ビルで火災が起こり、雑居ビル内にいた人にとっては真に「この世の終わり」となった。このため、東京都民にとっては、関東大震災から78年後の9月1日も、2度目の「この世の終わり」が起こった日になった。
2006年[編集]
イラン航空旅行社の945便が着陸時に火災が発生した航空事故が発生し、945便の乗員乗客とイラン航空旅行社にとっては真に「この世の終わり」となった。 また、死者が28人も出るなど、日本航空123便墜落事故ほどではないが非常に最悪な事態となってしまった。
日本の学校[編集]
日本の小学校や中学校では、夏休みの宿題を提出する日である。夏休みの宿題が終わっていない人にとっては「この世の終わり」みたいな日である。
ただし、9月1日が日曜日の場合は9月2日が「この世の終わりの日」、9月2日が日曜日の場合には9月3日が「この世の終わりの日」である。9月1日が土曜日か日曜日の場合、午前中の博物館は消厨の駆け込み需要で満杯になる。
ただし、北日本は例外であり、8月下旬頃、北海道では8月17日頃となる。
関連項目[編集]
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