イラッとさせない議論の仕方

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
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時々、記事のノートなどで論争が行われているのを見る。内容は記事によって様々だが、共通して言えることは言葉遣いによって論争がより激しくなってしまっているということだ。そこで今回は、(小童の私が言うのも何だが)そういった無駄な論争をなくすようなコツについて、具体的な例を挙げつつ解説する。なお、ここに書いてある方法が必ずしも全て正しいとは限らない。


敬語表現を入れる[編集]

これは基本中の基本。特に謙譲表現は大事だ。謙譲表現とは自分を下げて相手を上げる方法で、「〜いただく」「〜申し上げる」が代表例で、これに丁寧表現を加えた「〜いただきます」「〜申し上げます」も覚えておくべきだ。しかし、謙譲表現はそれだけではない。例えば「考え」という名詞を謙譲表現にすると「愚考」となるし、「家」を謙譲表現にすると「拙宅」となる。また、「僭越ながら」や「恐れ入りますが」なども敬語表現にあたる。これらは全て、使えて損はないだろう。


相手の主張をある程度飲み込む[編集]

ここからはテクニカルな方法を説明する。まず念頭に置くべきこととして、真っ向からの反対はナンセンスだということがある。


例えば、相手が攻撃的な口調でものを言ったとしよう。ここで、あなたはきっとイラッとするだろうし、やり返しと言わんばかりに攻撃的に反論してしまいがちである。しかし、そこで攻撃的に反論してしまうと何の解決にもならないし、結局のところ相手と同レベルなのだ。


そんな時はどうすれば良いかというと、相手の主張を聞き入れればよいのだ。そんなの納得いかない、という人が多いだろうが、まずはこちらから歩み寄るのが鉄則である。それでもって自分の主張を混ぜた折衷案を出す。そうすれば相手にも主張が通ったという満足感を与えられるし、自分の主張もしっかりと通っている。万事解決である。


相手の良いところを探してほじくる[編集]

しかし、現実はそう甘くはない。中には自分の主張を異常なまでに押しきる我利我利亡者も世の中には存在する。そんな奴はいっそ褒めてやると効果アリだ。一見するとますます調子に乗りそうだが、それは褒め方次第である。


例えば〇〇という利用者が執筆した記事は傍目に見ても面白くないとする。当然のようにNRVが貼られ、そのまま一週間が経過した。削除議論が始まり、その中で〇〇は記事の趣向を説明するもまったく受け入れられず、躍起になって「あの記事は私にとっては面白くない。あの記事が消されていないのにどうして私の記事だけが消されるのか」と反駁してきた。さて、この状況を打破するために、あなたは「相手を褒めることで落ち着かせる」という方法をとった。どの様に褒めるだろうか?もちろん、ここまで常識に欠ける利用者がいればの話である[1]


良くない褒め方として、「あなたの書いた記事はこの点では面白いですから、ここをこうすればもっと改善できると思います」というものを挙げておく。一見するとベストなアドバイスに見えるが、次に〇〇が思うのは「そこまで知ってるならお前がやれよ!」ということである。ここでいう〇〇のような奴は具体的に行動しない人を引き合いに出して反論してくる。さらに悪質な奴は人の揚げ足を取るのが大好物だ。揚げ足を取られてはこちら側もものを言いずらくなるから、それは避けるべきだろう。


では、良い褒め方とは一体何なのか。これは私の意見であるから一概に良いとは言えないが、「あなたの書いた記事にこういったものを加えてみるのはどうでしょうか?そうすれば記事の面白さがより伝わると思うのですが」というものを挙げておく。さっきと同じじゃないか、と思った人は大正解で、内容はまったく同じである。しかし、ちょっと言い回しを変えただけで物腰ががらりと変わるのだ。ポイントは、相手への提案相手を下げる言い方を使わないことである。


一つ目のポイントはわかりやすい。こちら側からの一方的な意見をなくし、代わりに提案という形式をとることで、相手にはその提案に答える義務が発生する[2]。つまり、相手に批判する隙を与えないわけだ。


二つ目のポイントは少し難しい。「良くない褒め方」にある「改善」という単語、これは今の状態が悪いということを暗示した表現になってしまう(そう思っていなくとも)ため、相手に嫌な気分をさせるかもしれない。一方で、「良い褒め方」にある単語にはそういった表現が見当たらない[3]

ユーモア[編集]

これこそアンサイクロペディアンとして最も忘れてはならない事だが、それはユーモアを混ぜる事である。アンサイクロペディアにとってユーモアとはその存在意義であり、さながら命のような概念である。よって、アンサイクロペディアンたる者、如何なる時もユーモアを欠いてはならないのだ。


とは言っても、記事を書くときのユーモアと喧嘩を避ける場合のユーモアは似て非なるものである。例えば、ユーモラスな語録は議論には全くの不向きであるし、気の利いた謙譲語は一般的な記事に使われる事は少ない。それに、記事を書くときのユーモアを議論に用いてしまうと、かえって相手に不快な思いをさせてしまうかもしれない[4]


では、どのようなユーモアが議論に向いているのか。あくまで喧嘩を避けるために用いるものとして考えると、それは自虐ネタだろう。他人に干渉することなく、自分を蔑むことで周りの評価を上げる、この表現は正しく議論向きである[5]


もう一歩先を行くなら、ユーモアを議論の中に盛り込むことで相手に「こいつ、面白い奴だな」と思わせるのも強かな手である。具体的には、議論に露骨なユーモアを打ち込んで議論を脱線させつつもその中で議論は進んでいる、という状況に誘導するのだ。これはハイリスクであり失敗したときの尻拭いは非常に大変であるが、成功した場合にはそのリスクに見合うだけのメリットが返ってくることだろう。成功例はここ[6]を参照せよ。


さて、いかがだっただろうか。これを読んだ人の大半が「こいつキチガイだ」と思ったことだろう。そしてそれは間違いないし、そもそもアンサイクロペディアで激しい論争を避けるという時点でダメな奴である。


…まあ、私は争いごとが嫌い[7]なものでして、しょうがないと思っていただければ幸いです。

脚注[編集]

  1. ^ そういう奴には厳しいことを言ってやるのも十分にアリだ。具体的にここがダメ、あそこがダメ、などと例を挙げることを所望すればその通りにすれば良いが、別に望んでいないならば「お前の書いた記事は面白くない」と端的に述べるべきだろう。もし、「じゃあお前の書いた記事も面白くない」とか「最近のアンサイクロペディアの記事は面白くない」などと反論してくるようなクズがいれば(いないだろう、流石に)、ここを見るべし。よろしい、ならば戦争だ。
  2. ^ 提案されたことに答えない奴なんていないという前提だ。
  3. ^ 「より」という比較表現は当てはまらないの?と思った人は鋭い。しかし、「より」というのは「今にも増してもっと」というニュアンスがあるため、相手を下げる言い方にはならないと考えている。
  4. ^ ちょっとした揶揄の為に用いて場を和らげるのには使えるが、そこは相手を見て判断しよう。
  5. ^ なお、露骨な謙譲表現はわざとらしさが滲むので使うべきではない。そこの線引きをいかに上手くやってのけるかが、自虐ネタの難しいところである。
  6. ^ IP君との一悶着を、IP君の発言を逆手にとって脱線させて無駄な議論を収束させた、という内容である。ポイントは、他の利用者の隠れユーモアに気づいてかつそれに乗っかることである。最後の〆も秀逸だ。
  7. ^ じゃあ作んなこんなもん

終わりに[編集]

もしかしたらもしかするかもしれないので一言。


〇〇という名前の利用者が本当にいた場合はごめんなさい。マジでごめんなさい。